四畳半の部屋の中で思うこと
涼子の好きな話の中に、四畳半神話大系という小説があります。内容は恋人がいない頭ばかり回る京大の男子学生がああこうやっていれば、こうしていればというifの世界線を何度も経てひそかに心を寄せている女子大生との恋の行方をつづった内容なのですが、クライマックスの描写が妙に不可思議で印象的なのです。りょうこはいつもその話を思い返しては日々を生きたりしています。大学の寮でぼろく狭く詰まらない四畳半しかない畳張りの部屋から様々なより良い世界へと云々を思案する彼は、ある日突然その四畳半から出られなくなる。何度部屋の扉を開けても四畳半の彼の部屋が続くのだ。はて、と思いながら主人公の彼は何度もその部屋から脱出を試みる。なのに、続くのは毎日いやというほど見ている四畳半の部屋だけだ。そのうちに彼はあるひとつの事柄に気付く。例えば、彼がもっと素敵なタイミングで彼女と会えたとして、彼女に恋人がいなかったとして、彼女に告白する為の諸々が全て備わってる世界線だったとして。自分はどうだ?自分はこの四畳半の部屋で一体何をしていて、また何を遂げて、さらに何をしていたんだろうかと。外的要因にばかり重きを置いて、彼女と自身が縁を結ばなかったのはすべて周りのせいにしてきた。○○と出会ったせいで、彼女との接点がなかった、自分が○○だったらもっと良い機会があった。もっと、もっと、○○だったら。○○だったら。そういうことをずっと四畳半という小さく狭い間取りの心の中で、彼はずっと外的要因のせいにして彼女との縁がないことを嘆いていた。もし、四畳半の狭さは内的要因だったとしたら?私の人生は全てどの世界にいても、私が私である限り、結果が変わることはないだろう。そう、どれだけ扉を開けてもまた四畳半の部屋に居るだけだ。外的要因から内的要因へ。彼の心は次第に自分自身への容認へ変わっていくのだ。ifなどない。私が私である限り、四畳半を選んで生きたのは紛れもない私で、その中で何かしらがあって君と出会った。ifなどifでしかなく、また僕はどうあがいても結局は僕である限りどんな条件でどんな素晴らしい待遇でも僕である限り同じ四畳半を選ぶのだ。そう気づいたとき、四畳半から彼は扉を開けて外に出られたのである。りょうこはいつもこのクライマックスの不思議な世界を心のどこかで気に留めています。人はいつも、こんな人が彼女だったら、奥さんだったら、誰かともっと違う出逢いがあったら。自分の世界はもっと違ったのに。と思いがちなのかもしれませんし、それが世界の夢を見る原動力かもしれません。でも、あなたがあなたである限り、どの世界でもそれは変えようのない事実なのです。必要なのは、あなたが自分自身の四畳半を認知して、受け入れること。あなたがあなたである。それはどんな事象が起こったって逃れようがなく、またとてつもなく強くて凄まじく弱い事実です。しかし、それを自覚するってとても大切なんだなとこの本を読んでて感じてます。だから、素敵な人が居たって、居なくたって、あなたはどうあがいたって現世でも来世でも前世でも絶対あなただった。あなたとこの世界で逢えたことは、もしもなど絶対に無いこの状況下で、必然的に生まれたこの世界にあるたったひとつの事実です。それでよいのじゃないかしら。私自身、どうあがいても結局は今のりょうこです。自分の四畳半がどれほどの広さなのか、諸々物思いに耽りながら日々を過ごしています。でも、もし、例えるなら。四畳半の部屋から出たところでお会いしましょう。りょうこ。
スーパーカリフラジリスティックエクスペアリドーシャス!だったかな…
素敵な洋服だね!
涼子 お洒落だね〜