真田幸村
関ヶ原の戦いの裏で「第2次上田合戦」が繰り広げられていたのは有名な話。 「真田親子の目的は、徳川主力の徳川秀忠軍を上田に足止めして、関ヶ原の戦いに参加させないことでした。真田軍は3,000人程度の少ない軍勢で、38,000人もの大軍である徳川秀忠軍を巧みに翻弄。1週間、徳川秀忠の軍を留めることに成功します。甚大な被害を出した徳川秀忠軍は関ヶ原の戦いに間に合わず、真田昌幸と真田幸村(真田信繁)の目的は達せられ たのです。」 しかし、その幸村も大阪夏の陣で命を落としてしまいます。 「真田幸村(真田信繁)率いる真田隊は徳川家康の本陣まで攻め込み、あと一歩のところまで徳川家康を追い込みます。徳川家康が2度も自害を覚悟したと言われるほど、真田隊の勢いは凄まじかったのです。しかし、徳川家康の首を取ることは叶わず、すでに多くの兵を失った真田幸村(真田信繁)は、徳川方の援軍の前に力尽きます。」 勝者の徳川方に寝返ることもできたはずですが、義を貫いて敗者の豊臣方に付き、人生の最期を華々しく飾って散った幸村。その潔さが、武士魂が、けいこの心を揺さぶり離さないのです。。。 写真は幸村像。まるで太陽の光までも味方につけてしまいそうな力強さがあります。




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真田神社の鈴諸はデジタルだったでしょ(笑)
幸村像の時の日の傾きからして、そろそろ今夜の宿に向かうのかな?
お参りするけいこちゃん(=^・^=)神聖な感じ受け取りますよ