旧酒田灯台
日和山公園に六角灯台があります。 この灯台は明治28年に竣工したもの。酒田市のホームページには、「灯台の光源は、当初石油ランプであったが、大正8年にはアセチレンガス明暗紅光に改良され、さらに大正14年に電化された」とありました。時代の変化は、灯台をも進化させ、その光は酒田港を照らし続けたのですね。 近代灯台が完成したことに伴い役目を終え、現在は、高台へ移築保存されています。港を照らした灯台は、今はライトアップされ、静かに酒田の街を見下ろしています。
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北前船は単に荷物の運搬をしていたわけではなく、寄港地で安くて良い品物があれば買い、船の荷物に高く売れる物があればそこで売る。さまざまな商材を取り扱い「商売」をしながら日本海を航海する、まさに「総合商社」と言える船です。また、北前船は「米を1千石(150トンの米)積むことができる大きさ」という意味から千石船ともよばれ、北前船史上最大の船は、2,400石も積むことができ、巨大な帆1枚で逆風でも進むことができる、すぐれた帆走性能のある船です。 とはホームページから。帆が開いているトコの写真をおさめたかったな。
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日和山公園に六角灯台があります。 この灯台は明治28年に竣工したもの。酒田市のホームページには、「灯台の光源は、当初石油ランプであったが、大正8年にはアセチレンガス明暗紅光に改良され、さらに大正14年に電化された」とありました。時代の変化は、灯台をも進化させ、その光は酒田港を照らし続けたのですね。 近代灯台が完成したことに伴い役目を終え、現在は、高台へ移築保存されています。港を照らした灯台は、今はライトアップされ、静かに酒田の街を見下ろしています。
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初めて来ました、まぐろ専門店! 店頭のショーケースを覗くと 見たことのない大きなマグロのカタマリが。 刺し身も色々な部位ごとにあります。 ん? マグロのアゴ肉ですって。珍しいっ。 ここに来たからには海鮮丼を食べなくちゃ。 マグロの厚みがあってたべごたえが。 こりっこりのつぶ貝やとろける甘エビ。 思い出すだけで唾がでてきそうです(笑) 新鮮なのはもちろんですが、 リーズナブルな値段で食べられるのも 嬉しいところ。 威勢のいい声が飛び交う店内も また味があっていいものでしたね。
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動力のない時代に風だけで行ったり来たり出来るって究極のエコだよね(=^・^=)
商売をしながら航海とは移動販売? ちがうか
帆が開いていないのは残念ですね
私は船であり天高くそびえるマスト、君は帆となり愛の風を全身で感じ、マストに伝え船は愛の向こう側へともにイク・・・ なんてね
出身小学校の校歌にも ●●岬を出入りした千石船の昔より栄える街を・・もう廃校になりましたが
S40年代まで木造団兵船(100トンクラス)の出入りで栄えた町でした。
酒田も北前船で栄えた港町なんですね
でも日本海は冬は荒れるから航海も大変だったのでは?
またまた歴史の勉強になります!
まさに「水上のデパート」って感じですかね・・・!海外では当たり前の国もあるかも・・(^^♪
Hさんへ
ホント、昔の人の技術ってすごいですね。風向きや海流を見込みながら船を進めるのだから。うん、たしかにエコ!
1さんへ
私はあなたの帆となりましょう。どんな嵐が来ても、愛という名の風をしっかりと受け止め、この身を任せてイク・・・なんてね
Sさんへ
哀しいかな。。。 廃校になるのはとても切ないことです。けいこの出身校もまもなく閉校となり、その校舎の活用について論じられているところ。功績はいつまでも語り継がれることでしょう。
Kちゃんへ
たしかに、冬の日本海は非常に荒れるため日本海が荒れる時期は航海を避け、各地の港で停泊して冬を越したようです。そして、この期間に船の修理や、次の航海のための準備を行っていたんですね。
タ〇さんへ
なるほど〜海外ですか。「水上のデパート」という意味あいでは、アジアのベトナム、タイ、カンボジア、インドネシアなどがそれにあたるようですね。ふむふむ。。。
木製の船?船見たら
船舶免許取りたくなる
まさとにゃんです(=^ェ^=)(=^ェ^=)にゃ〜
Mちゃんへ
まさとちゃん、はっけ〜ん★ 船舶免許とったら、お船でお鍋しよー。これからはこたつ鍋の時期だよー。